アーチェリー物語【親子編】18. サイン



「鶴中さん、ちょっといい?」

琉乃が席に着くと、すぐに現場監督が声をかけてきた。

「昨日のお客様のことだけど、打ち合わせのあと携帯に電話がかかってきて、コーディネートのプランがしっくりこないということだった」

「そうなんですか!?」

琉乃は驚きの表情を隠せない。嬉しそうな夫婦の表情は、脳裏に焼き付いている。

「ご夫婦の趣味に合わないというか、もう少しシンプルなほうが良いという感じ。それで、直接は言いにくいから、遠回しにうまく言ってくれないかということだった」

監督は表情を変えずに続けた。

「悪い意味じゃなく、鶴中さんが良くしてくれるし、頑張ってくれてるのは十分にわかっているから、言いづらいと」

「そうだったんですね……」

「ただ、遠回しは良くないから、そのまま正直に伝えると言っておいた。『私にドーンとお任せください!』ってね」

監督はニヤッと笑った。

「で、そのままドーンと伝えたので、あとはよろしく! 鶴中さんなら、これをプラスに変える力があるし、安心だよ。じゃあ、現場に行ってきまーす」

監督は、通り風のようにオフィスを出て行った。

びわホームの社風で、良いところだ。遠回しとか間接的とかは良くない。事実を隠さず、そのまま伝える。たとえ良くないことであっても。

その姿勢は、社員間でもお客様でも同じ。それが信頼につながっている。

そのまま伝え、任せてくれた監督に感謝した。

そして、昨日までを振り返る。

プランを披露すると、お客様から「お~!」という感嘆の声が上がる。それもそのはず。無反応はありえない。

それは一般的なことで、鵜呑みにしていない。感嘆の声は、半分が社交辞令だと思っている。

お客様の将来を見据え、後悔しないプランにしなければならない。だから妥協せず、納得できるまで考えて提案している。

しかし、冷静に考えれば、違和感が出てきた。

最近は凝ったプランが多い。以前より提案の傾向も少し変わっている。

それらは、すべてお客様のためと思っていた。ベストな提案だと。

本当にそうだろうか?

急に不安が襲ってきた……。

ひとまず切り替えて、目の前の仕事に集中しよう。




琉乃は、重要なことは一晩置くように心がけている。すると、物事を冷静に判断でき、違った目で見ることもできる。

昨日書いたメールの下書きを読み直す。

電話かメールか迷ったが、今の気持ちをお客様に伝えるのはメールが最善と判断した。


丸一日かかって、これまでを振り返った。

冷静に考え、客観的に見る。すると、少し行き過ぎたプランがあったと思えてきた。

お客様のためと言いながら、自分のこだわりが強かったような。喜びの声をもらうために、少し派手になっていたような……。

考えれば考えるほど、恥ずかしくなってきた。穴があったら入りたい。

それよりも、提案したことが問題だ。善意の押し付けのようになっていたかもしれない。

いや、お客様からのクレームは何よりの証拠だ。押し付け以外の何者でもない。

恥ずかしさと反省が頭の中で渦巻く。


下書きを少し修正して、お客様にメールを送信した。

これをきっかけに、今まで以上の信頼関係を築かなければならない。

そして、これは何かのサインだ。

大峨の事件に続いてのクレーム。偶然ではない。

これまでやってきたこと、言ってきたことは、すべて大峨のためだ。

しかし、本当にそうだろうか?

大峨のためと言いながら、自分の考えを押し付けていたのでは?

あの事件は、大峨からのサインだろう。

反省がグルグルと頭の中で渦巻く……。




「大峨君、全国出場おめでとー!」

先生の声に、周りの数人が拍手。

「あっ、ありがとうございます」

大峨より先に、とっさに琉乃が反応した。

「出場するのは、お母さんじゃないんですけど」

神の突っ込みに皆が爆笑。大峨がお礼を言う。とても和やかな祝福ムードだ。

今日は出場者発表の日。でも、例の件で頭がいっぱいで、すっかり飛んでいた。

全国大会出場は濃厚だったが、一抹の不安はあった。これで安心だ。ホッと胸をなでおろす。

「良かったね。おめでとう」

「うん」

いつもの素っ気ない返事でも、大峨の表情は明るい。

何度も夢に出てきた舞台。ずっと目標にしてきた大会。初めての全国。

その割には、あっさりした短い会話だ。でも、これでいい。

サインは常に頭と心にある。


(大峨、本当に良かったね。大会まで、無理せず一緒に頑張ろうね)

琉乃は心の中で伝えた。

その気持ちが届いたのか、弓を組みながら大峨がニコッと微笑んだ。




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