アーチェリー物語【親子編】26. チャンス
「まさか、悪い冗談じゃないですよね……?」
「もちろん! 冗談は会長の顔だけですよ。ねえ会長?」
「そうそう、この顔と齒だけは、どうにもこうにもならんなあー。ガハハハ!」
道路まで聞こえそうな大きな笑い声。今は、びわホームの会長と社長には見えない。しかも、新会社設立という重要な話の最中。
このアットホームな雰囲気が会社の特徴だ。衝撃的な話も、そうでなく聞こえる。
びわホームが子会社を設立し、新たにハウスメーカーを立ち上げるという。
その社長に、琉乃が抜擢されたのだ。
人生最大のチャンスかもしれない。あまりに突然のことで、話に頭が追いつかない。軽くパニック。
次の言葉も出てこない……。
「急な話なので、しばらく考えてもらってオッケーです。鶴中さんは、お子さんがスポーツを頑張っているし、社長になったら今よりも忙しくなるだろうから、家庭との両立も考えないとね」
「もし、お断りしたらどうなるのでしょう?」
「そりゃーもう、地獄に一直線! ……なんてことはないので、ご安心を。次の候補者が社長になって、鶴中さんは今の仕事のまま。だから、無理そうだったら、無理しないでくださいね」
「わかりました。では少し時間をいただきます」
二人の温かい笑顔とキラッと輝く齒に見送られ、仕事に戻った。
良いことは続くものだ。今朝は、引き渡し記念日に出席した。
実際の引き渡しの数日後、お客様を呼んでミニイベントを開催。
新生活がスタートした直後のサプライズは、お客様の喜びがピークに達する。
「鶴中さんのコーディネート、実際に住んで本当に素敵だと思いました。毎日ルンルン気分です! コーディネーターが鶴中さんで良かったです!」
目をキラキラさせた奥様からの言葉。
「ありがとうございます! そう言っていただけて、本当に嬉しいです。最初は至らない点があって、すみませんでした」
「いえいえ、当たり障りがないより、いろいろあったほうが、こうして親密になれますものね!」
「アハハ、お恥ずかしい……」
少しトゲのある言葉をもらい、琉乃は大げさに頭をかく。
それが二人の関係を象徴している。
最初のプランは、お客様の意向に沿わないもので、現場監督を通してクレームをもらった。
良かれと思って凝ったプランが、つい行き過ぎてしまった。すぐに反省して謝罪し、誠心誠意のフォロー。
何度もやり取りするうちに、信頼関係が構築された。
そして、最高の引き渡し記念日。
行き過ぎたことに気づかせてもらった、大切なお客様。今後も変わらぬ信頼関係は続いていく。
新会社の社長に選ばれたのも、こういった実績の積み重ねだろう。
今日は本当に良いことが続く。だが、満足してはいけない。
琉乃は慢心することなく、気を引き締めていた。
子会社とはいえ、会社の社長。まるで夢のような話だ。考えただけで胸が高鳴る。
たとえば、独立して自力でハウスメーカーを立ち上げるとすれば、ほぼ不可能だろう。
琉乃にとっては、銀河のような大きなチャンス。でも夢ではない。手を伸ばせば確実に届く現実。
独身なら、間違いなく即決だ。
少し前でも、おそらくチャンスを手にしただろう。
でも、今は……。
ずっと大峨の姿を見ながら考えている。
今日は土曜日。アスリートコースのレッスンは大盛況だ。みなライバルであり仲間。その中で、大峨は元気にやっている。
全日以降、大峨は上り調子。それより、ひしひしと成長を実感する。
アーチェリーを始めて、いろんな経験をした。
大峨だけでなく、琉乃も同じくらい。いや、もっと多くの経験をした。アーチェリーとアシストアーチェリークラブのおかげだ。
大げさにいえば、アーチェリーと出会って親子の人生が変わった。過去形ではなく、現在進行形。これからも続く。
大峨はGAカップに向けて頑張っている。それが終われば、次の目標に向かって頑張り続けるだろう。
生活するのに仕事は大切。チャンスは手にしたい。ただ、収入は増えるだろうが、忙しくなり、家族との時間は確実に減る。
何が大切か?
……やはり、息子のことが一番だ。アーチェリーが好きで頑張っている。その大峨の気持ちを大切にしたい。
考えれば胸が熱くなる。
親として、できる限りのサポートをしよう。
(弓は持たなくても、今まで以上に大峨と一緒にアーチェリーを頑張ろう!)
仲間と談笑する大峨を見つめながら、琉乃の心は固まった。
逃したチャンスは大きいかもしれない。でも、その分、手にするものも大きいはず。
琉乃の気持ちは、広い青空のように晴れやかだった。