アーチェリー物語【親子編】10. 轍(わだち)
窓の外は一面の銀世界。
珍しい大雪でレッスンは中止になった。庭で近射もできない。だが、琉乃の心が凍えることはない。炎がメラメラと燃え盛っている。
それは大峨も同じはず。
リビングで何度も素引きを繰り返している。顔が少し赤らんできた。
素引きは、普通に射つより力がいるらしい。試合が少ないインドアシーズンにピッタリだ。
冬の間に土地を耕し、種をまいて水をやる。春になると芽が出て、すくすくと育っていく。
今は地道に練習を積み上げる時期だ。それが四月から力の源になる。
今日は、天候まで味方しているのかもしれない。
素引きする大峨の姿を見ながら、少し前のことを振り返った。
一月に開催された第四回アシストカップ。大峨は十八メートルで出場した。
ライバルの澤嶋晃史と同じ距離だ。というより、インドアは年代問わず最大十八メートルで、その距離に達した。
ただし、的のサイズが違う。インドアで使うのは四十センチ的。大峨は二倍の八十センチ的だ。
晃史は四十センチ的。この差はまだまだある。でも、十八メートルに達したのは大きな前進だ。
先生の話からも、実力は順調に伸びていた。
琉乃は、第三回アシストカップの再現を期待していた。優勝だ。前回のように勝負強さを発揮すれば、可能性はあるはず。
しかし、淡い期待は裏切られた。結果は三位。三人中の三番目だった……。
十八メートルが射てるようになったばかりなので、仕方ないだろう。
しかし、琉乃はショックだった。胸に空いた風穴を冷たい風が通り抜ける。
その原因は、もうひとつあった。晃史の四十センチ的での優勝だ。点数も八十センチ的の大峨より良い。
実力の差があるのはわかっている。しかし、まざまざと現実を突きつけられた。
このままでは間に合わないかもしれない……。
ダブルパンチのショックは、琉乃の心を大きく突き動かした。
「大峨、レッスンの回数を増やそうか?」
アシストカップの翌日、家で近射をする前に聞いた。
最初は回数制だったが、すでに月額制に変更してある。今は週二回、多くて三回のペースを増やそうというのだ。
「うーん」
予想通りの反応に、冷静に続ける。
「今のペースじゃ、全国大会に行けないかもしれないから。もうちょっと増やしたら、可能性は増えるでしょ?」
「全国大会?」
琉乃は前から全国大会出場を目標にしていた。ライバルは澤嶋親子だ。しかし、そこまで大峨に共有してなかった。
「えーっと、前に『全国大会に行けるといいね』って言ったよね? せっかく頑張ってるんだから、全国を目標にしたほうがいいと思うの。どう?」
「そりゃあ、行けるなら行きたいけど」
「そうよねー、だからレッスンを少し増やして頑張ろっ!」
「でも、お母さん大変じゃない? 仕事があるし。あとレッスン増えたら、やっぱり大変かなあ」
「仕事とか、お母さんのことは心配しなくて大丈夫。レッスンが増えたら大変というより、どんどん上手くなって楽しくなってくるよ」
「そうかなあ……」
「あと晃史君、上手いよねえ。昨年も全国に行ってるし。同い年だから、ちょっとでも追いつきたいしね」
「いやー、それはちょっと無理かなあ」
「まあ、キャリアが違うからね。でも今から頑張れば、同じ全国大会に行けるよ。レッスン増やして頑張らない?」
「うーん、じゃあ少し増やしてみる」
少し強引だったかもしれない。でも、息子のためだ。大峨の性格は、これくらいで進めるのがちょうど良い。
こうして息子の性格に合わせて、能力を引き出すのが親の役割だ。
レッスンが増えれば、その前後の練習も増える。これで一歩も二歩も全国に近づいたはず。
琉乃は切り替えが早い。もう胸の風穴は消えていた。
「フー、素引き終わりー!」
「えー、ちょっと早くない? 休憩して、もうひと頑張りしようよ」
「ほーい」
渋い顔に低い声。
「あと、体幹を鍛える運動も忘れずにね」
「うーい」
一段と渋い顔に低く小さな声。
「全部終わったら、おやつがあるからね〜。頑張ろう!」
素引きは楽しくないだろう。でも、春になったら芽が出て、夏には大輪の花が咲く。
アメとムチではないが、うまく導くのが親の役目だ。
窓の外は雪がやみ、まばゆい銀世界になった。
道路には轍(わだち)がまっすぐ走っている。次々に来る車は、轍に沿って進む。
琉乃が新雪に轍をつけ、大峨は轍に沿って進んでいた。