アーチェリー物語【親子編】22. 笑顔
「びわマルシェ」と書かれた看板が降ろされていく。
コロナの影響で、イベントなどが軒並み中止された昨年。
今年は徹底した感染対策により、少しずつ動き出した感じはある。しかし、まだまだ自粛優先の世の中。
そんな状況で開催された、びわマルシェ。
世間の流れに乗って中止、延期するのは簡単だ。様子見と言えば、立派な理由になる。
それでは、世間並みの会社にしかならない。
やって良かったと思う。来場者の反応が物語っている。
準備から今日まで大変だったが、それだけに達成感もひとしお。
びわホームの会長以下、全員の笑顔が物語っている。
良い気分転換でリフレッシュ。明日からまた、一段と頑張れそうだ。
「全日まで、あと十日ほどです。明日は練習を休みにして、少し気分転換したほうがいいと思うのですが、いかがでしょう?」
大峨は練習を終え、弓を片付けている。
「あー、そうなんですか?」
「今日の状態を見て決めました。今の大峨君は、やる気十分です。ただ、それに反して調子は上がりません。こんなときは、気分転換するのがいいと思います」
「なるほどー、ですね……」
琉乃の不安そうな表情を察して、神は続ける。
「最近は毎日、練習が続いていました。本番も近いですし、力も入ります。それは問題ありませんが、たまには休憩も必要です。今までの流れと試合の日から、今が最適のタイミングです」
「確かに、そんな気がしてきました!」
びわマルシェが頭に浮かぶ。
「気分転換して絶対に良くなるかはわかりませんが、少なくとも悪くなることはありません。だから、思い切って休んでください!」
「わかりました。思い切って休みます。……でも、どうやって思い切ればいいんでしょう? 休みは頭になかったので」
「普段と違うことがおすすめです。たとえば、ドラム体験なんてどうでしょう?」
二人同時に、テーブルに視線を送る。上半分にアーチェリー、下半分に先生の弟がやっている音楽教室のパンフレットがある。
「家族でやっているバンドで、私はドラムを叩いています。スカッとして気分転換にいいですよ!」
「恐怖の一発録りですね! でも、大峨にできますかね?」
「ギターはまともに音が鳴りません。そこからのスタートです。でも、ドラムはスティックで叩くだけなので、誰でも音が鳴ります。簡単で楽しいですよ!」
ちょうど弓を片付け終えた大峨が来た。
「ねえ大峨、明日の練習はお休みだって」
「へー、なんで?」
「一日休んで気分転換したほうがいいって。それで、ドラム体験はどうかなってことで、どう? ドラム」
「お~、ドラムかぁ。やってみたいなあ」
「じゃあ決まりね! 先生、よろしくお願いします」
「そうなると思って、もう予約済みなんです! 明日は思い切って叩いてください」
「さすが先生!」
「あっ、一点だけ注意があります。そのままドラム教室に入会しないで、必ず戻ってきてくださいね!」
「ハハハ、わっかりましたー」
ジャーーーン!
シンバルを叩く音が脳天に響く。音は激しいが、先生の弟さんは知った仲なので気楽だ。
適当に叩くのではなく、八ビートという基本リズムを教えてもらっている。
しばらくすると爆音にも慣れてきた。そして、音楽らしいリズムが刻まれている。
大峨は楽しそうだ。琉乃は見ているだけでウキウキしている。
「ドラムの才能、ありそうですか? 先生から止められているので、入会できませんけど!」
ドラムに負けない声を出す。
「いやー、入会されないのは非常に残念ですね。この通り、ドラムの才能に溢れているんですけど!」
そう言った途端にリズムが乱れて、ズッコケそうになる。
スタジオに三人の笑い声が響く。
体験だけなのに、楽しい空間を作り出してくれる。本当にありがたい。
少し延長してもらったのに、あっという間にドラム体験は終わった。
「今日はありがとうございました。親子で良い気分転換ができました!」
「それは良かったです! 大峨君、全国大会頑張ってね!」
「はい、頑張ります!」
ドラムに負けない大きな返事で、体験は終わった。
「ドラム、楽しかったなあ」
駐車場の自販機でジュースを買いながら、大峨が満面の笑顔を浮かべる。
「そう、良かったぁ。何が一番楽しかった?」
「うーーーん……」
笑顔から一転、眉間にしわを寄せて難しい顔を作っている。
「一番は、お母さんがしゃべらなかったこと!」
いたずらっぽく笑う。
「言ったなー、こいつめー」
腕をつかんで、頭をグリグリする。大峨はキャッキャと逃げ回る。
「まったく親の気も知らないで! ……でもまあ、今日は気分転換だから特別に許す!」
仁王立ちの琉乃が笑う。
「ちょっと早いけど、二人で晩ごはん食べに行こっか?」
「お~、やったー! でも、お兄ちゃんは?」
「帰りに美味しいもの買って帰ろっ!」
「うん!」
夕日が二人を明るく照らす。笑顔の息子は輝いて見えた。
「 あー、今日はホントにいい日だなあ〜」
車に乗りながら大峨がしみじみとつぶやく。子どもらしくない言い方に、琉乃はプッと吹き出す。
久しぶりに、親子で心の底から笑い合えた気がした。