アーチェリー物語【親子編】15. 梅雨



梅雨入り間近の過ごしやすい季節。

そのはずだが、琉乃は一足先に梅雨入りしていた。

小雨が降り続いている。ジメジメして生乾きの匂いがしそうな気持ち。

全国大会出場が濃厚になって、琉乃の気持ちは一段と盛り上がっている。ただ、そのまま大峨に向かってしまうと、プレッシャーになるかもしれない。

気持ちの盛り上がりを抑えつつ、うまくリードする。それが親の役目とわかっているので、そこは問題ないはず。

息子はもちろん周囲にも気を配り、広い視野を心がけている。

しかし、なぜか大峨がパッとしない。

レッスン、練習は普段通り。射場に行かない日は家で近射もしている。そうして頑張っているのは確か。少しずつ実力は上がっているはず。

でも、口数が一段と少なくなり、うつむき加減の姿が目立つ。

矢取りのときは周囲をキョロキョロ。点数を気にしているようだ。プレッシャーもあるのだろう。

あれこれ言いすぎるのは良くない。そこも注意している。

そんな中でも大峨の気持ちを盛り上げ、何とかリードする日々が続いていた。




「鶴中さん、ちょっといいですか?」

休憩スペースで待っていると、先生が声をかけてきた。

「最近の大峨君ですけど、ちょっと様子が違ってたので気にしていたんです。それで、実際の点数と練習ノートの点数が違うことがありまして……」

「えっ?! ……と言いますと?」

「昨日の点取りで、最終エンドは五十点だったんですが、ノートには五十二点と書いてありました。前日も同じことがあって」

神は少し厳しい顔で続けた。

「いつもチェックしているわけではないですが、最終エンド近くは少し離れたところでもわかる当たり方だったので」

「えー、まずは申し訳ないです……」

「いえ、今回は練習ノートなので問題はありません。ただ、これが癖になって試合でやってしまったら問題です。コロナ対策で当分は自分の点数は自分で書きますので、出来心もありえます」

「そうですね……」

下を向きながらトボトボ歩く大峨を目で追いながら、上の空の返事。

「少しでも良い点数を出したい意識から、やってしまったと思います。私からは『練習でも正しい点数を書こうね』と注意しておきました。鶴中さんからもフォローをお願いします』


試合で点数をごまかすのは重大な不正だ。以前にセミナーを受けたので大峨も知っている。

練習ノートとはいえ、それをやってしまった。

点数を書くとき、周囲を気にしているシーンが浮かぶ。そういうことだったのか。ただ、練習ノートで点数をごまかしても何の意味もないはず。

意味がないことをやったのは、何かの意味があったのかもしれない……。

琉乃はショックを通り越し、複雑な心境だった。




「さっき先生から聞いたんだけど、何で点数を多く書いたの?」

練習が終わり、弓を片付ける前に聞いた。遠回しではなくストレート。これがベストと判断した。

「うーん」

大峨は下を向いて目を合わせようとしない。

「何か問題あった? 気になることがあったら言ってみて」

「んー」

「試合じゃなくても、正しい点数を書くのは大事よ。そうじゃないと、アーチェリーが楽しくなくなるよ」

琉乃はニッコリ笑って続けた。

「もう終わったことだしね。これからは、しっかりやっていこ。ね?」

「……終わってない」

「うーん、気になることある? 何でも言ってみて」

「……」

大峨は少し震えている。

「最近、アーチェリーどう? 楽しい?」

「楽しいけど、楽しくない」

「えっ? どういうこと? やりたくないの?」

「やりたいけど、やりたくない!」

大峨はボウスタンドに立ててあった弓を押し倒した。激しい音が射場に響き渡る。

目の前の大きなガラスが、一瞬で砕け散ったような衝撃が走った。

先生が駆け寄ろうとする。琉乃は慌てて、手で大丈夫という合図を送った。

これは家族の問題だ。

琉乃は、うろたえながら弓を片付け始めた。とにかく、この場を収めなければ。周りに迷惑をかけるわけにいかない。

「今日はもう帰ろう、ねっ」

大峨は下を向いたまま動かない。琉乃は急いで弓を片付けた。

「先生、また連絡しますんで」

片手で大峨の背中を押しながら、早足で射場を後にした。


車の中では、平凡な会話を投げかけた。というより、当たり障りのない言葉しか出なかった。

大峨は適当な返事だけ。

琉乃は、まだ明るい空を見ながら、梅雨が長くなるのを覚悟していた。


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