アーチェリー物語【親子編】30. 心のアルバム
「あー、良かったです。ありがとうございます」
琉乃は、先生の言葉にホッと胸をなでおろす。
「大峨が音でわかるってことは、結構なヒビなんですかね? ハンドルにヒビが入るとか折れることって、あるんですか?」
「いやー、めったにないですね。カーボンハンドルでも頑丈ですし、子どもはポンドも低いので、普通はヒビなんて入りません。ただ……」
神の表情が硬くなった。
「強い衝撃を加えると、ヒビが入る可能性はあります」
琉乃の表情も硬くなる。
「……ということは、あの時の衝撃が原因かもしれませんね」
「他に心当たりがなければ、おそらくそうでしょうね。その時の小さなヒビが少しずつ進行して、一気に広がったのかもしれません」
琉乃は椅子にしゃがみこんだ。
あの事件が鮮明に蘇る。
「最近、アーチェリーどう? 楽しい?」
「楽しいけど、楽しくない」
「えっ? どういうこと? やりたくないの?」
「やりたいけど、やりたくない!」
大峨はボウスタンドに立ててあった弓を押し倒した。激しい音が射場に響き渡る……。
あの時の弓が倒れた衝撃、琉乃の受けた衝撃が頭で再現され、何度も心を打ちつける。
大峨のためと思って、できる限りのことをやった。
アスリートコースに入り、家に近射台を設け、レッスンと練習を増やしていった。
家でアドバイスできるよう、レッスン内容を頭に入れ、何度も助言した。
そうして子どもを引っ張り、リードするのが親の役目だと思い、信じて実行してきた。
ただ、それらは正しくなかった。というより、大峨を追い込んでしまったので間違いだ。
その間違いの積み重ねが、大事な舞台で牙をむくとは……。
(何もかも、私の責任だ)
後悔と反省の嵐が襲いかかる。
琉乃はバッグからタオルを出し、頭から被って両端の視界をさえぎった。
目に映る大峨の姿が次第に歪む。
しばらくして、狭い視野の端に玲子の顔がチラッと見える。でも、すぐに消えた。
察してくれたのだろう。
「大峨、調子はどう?」
長男からのLINEだ。部活中でも、弟のことを気にかけている。
三位付近で頑張っていることを短く返信。
大峨の姿を見ながら、長男のことを思う。
大峨とは正反対の活発で明るい性格。スポーツ万能で自慢の息子だ。
その長男に比べて、次男は見劣りしたのが正直なところ。
でも、アーチェリーと出会って変わった。
……はずだった。
そう思っていたが、本当にそうだろうか?
琉乃の頭の中で思考が激しく動き回り、何度も衝突する。胸がドキドキし、締め付けられて苦しい。
気付かないうちに、とんでもなく大きな間違いをしていたのを感じる。
……しばらくして、頭の中は次第に落ち着く。
大峨が頑張っている姿を見ながら、点と点がつながってきた。
試合は終盤に近づく。大峨は懸命に上位に食らいついている。
その姿を見て、琉乃は自己嫌悪に陥った。
昔から、もどかしさを感じることが多かった。
長男がテニスで結果を出すにつれ、その思いは強くなる。
いつしか、長男のように明るく活発になって、スポーツで活躍してほしいと願っていた。
そして、アーチェリーと出会う。
少しずつ結果が出る。全国大会を目指す。念願の出場へ。
そのたびに、喜びと期待は大きくなっていった。
ただ、それは、次男が長男に近づいてきた喜び。長男のようになる期待だった。
大峨は、それを感じていたのだろう。
そうなった原因、最大の間違いは、常に長男と次男を比べていたことだ。
今、ようやく気がついた。
その間違いが、大峨を追い詰める結果に……。
再び、後悔と反省の嵐が吹き荒れる。
次男は、長男の分身でもコピーでもない。親の持ち物や、あやつり人形でもない。
なのに、自分の思い通りに動かそうとしていた。
息子のためといいながら、結局は自分のためだった。
子どもが一番なのに、自分が一番だった。
子どもにも意志があり、個性がある。それを尊重すべきなのに……。
(なんて自分勝手でバカな親だったんだ)
申し訳ない気持ちが溢れ出す。
それでも、そんな勝手な親の期待に応えようと、大峨は必死に努力していたんだ。
今もそうだ。
考えすぎかもしれない。でも、きっとそうだ。
大峨は射った瞬間、天を仰いだ。ミスショットだろう。
でも、すぐに切り替えて頑張っている。
……琉乃は、頭から被ったタオルで頬を隠した。
目は、しっかり息子を見ている。その姿は歪んでいた。
しばらくして、琉乃はバッグからスマホを取り出し、電源を切った。
息子の姿を、今の気持ちとともに、心のアルバムにしまっておくために。